俺の屍を越えてゆけ(日記)

金融資産の本質とは?|自由を“行使する力”になる

昨日のブログでは、社会資本――つまり「人とのつながり」こそが、幸福を持続させる鍵であるという話をしました。

でも、その夜ふと思ったのです。

金融資産の本質って、何だろう?
答えのひとつとして、私はこう考えています。

金融資産とは、自由を“行使するパワー”である。
お金があれば、選ばされずに“選べる”
たとえば、医師の世界でよくある話。

医局で「マイホームを買いました」と話すと、
「ああ、この人は簡単には辞められないな」と思われます。
住宅ローンがある=今の職場から離れられない。

結果、「来年、地方の病院へ異動お願いします」といった指示が下りやすくなります。

人事を経験したことがある人なら、これが“あるある”であることにうなずくでしょう。

選択肢を持てる人には、無理を強いにくい
では、こう言ったらどうでしょう?

「マイホームは両親が購入してくれました。不動産収入で生活は安定しています。」

この言葉を前に、強制的な異動を命じるのは容易ではありません。

「それなら辞めます」という選択肢が“本当にある人”には、組織も慎重になるのです。
金融資産があれば、“断る力”が手に入る
選択肢が多ければ、交渉は強くなります。
誰にとっても「選ばされる側」よりも「選ぶ側」でいたいはずです。

金融資産は、その選択を“現実に行使する力”を与えてくれます。
これは単なる経済的な余裕ではありません。
それは人生の主導権を握るためのエネルギーでもあるのです。

社会資本と金融資本の両輪が、豊かさを支える
もちろん、社会資本――家族や仲間とのつながり――も人生の根幹です。
でもそれを守るにも、育むにも、やはり一定の金融資本は欠かせません。

幸福はつながりの中に育まれ、
自由は金融資産というパワーによって行使される。
この二つがそろって、ようやく人生は「自分の足で立つ」ものになると感じています。