医師はみんな、高校卒業までに、受験を勝ち抜くための勉强をして、その受験競争に勝ち残って医師になったという経歴を持っています。受験エリートの弊害について、記事にしてみました。
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高学歴であれば稼げるという価値観
難関試験に合格すること、ライバルに勝つことイコール成功という価値観を見直そう。
人間は、自分の成功体験を捨て去ることが苦手です。どうしても、過去の成功体験の延長線上に、将来の自分をイメージしがちです。現在は、医学部の人気が非常に高く、医学部に合格できた人は、例外なく、受験エリートだと思います。自分が他人と勝負して、勝てる領域があるということは、自分の価値を高くもつことができ、自信につながります。スポーツと同じような感覚で、それ自体は、非常に良いことだと思います。
ですが、社会人になってお金を稼ぎ、経済的な自由を手に入れるために、「難関試験に合格すること、ライバルに勝つことイコール成功」という価値観が役に立つかというと、そうでもありません。資本主義の世界で、経済的な自由を手に入れるために、他人との競争に勝つという考えは、数ある選択肢の一つにすぎません。
資本主義で経済的な自由を手に入れるためには、他人の問題を解決することのできる、自分の商品を持つことが重要
資本主義の世界においては、他人の役にたつ商品をもつことが最も重要です。希少性のあるモノには、高い価値がつきますから、できればコモディティではなく、レアアイテムであることが重要です。しかし、レアアイテムになるということと、競争で他人に勝つというのは、全くベクトルが異なる考え方です。他人と競争するということは、他人と同じベクトルで、ベクトルの大きさを競い合うこと。レアアイテムになるためには、他人とベクトルの向きをかえることが重要です。競争している時点で、ベクトルの向きが他者と同じであり、最終的には競争の末ナンバーワンになるか、そうでなければコモディティ(俗に言うレッドオーシャン)になることが宿命づけられています。
高学歴、ライバルと勝負するという発想を見直し、レアアイテムになる道を考えよう
人の役にたつこと。できればコモディティではなく、レアアイテムになれる自分のポジションを確立することが、資本主義の世界を生き抜くために必要な技術です。競争に勝手、集団の中のトップになると、同じようにして、競争を勝ち抜いた人たちとの新しい競争が待ち構えています。勝負に勝ち続けるというのは、自分の時間を体力を消耗する行為であり、いつまでも終わりのない戦いです。むしろ、上手に競争から抜け出し、人の役にたつ方法を、他人と異なる方向にベクトルを向けつつ獲得することが重要になると思います。