俺の屍を越えてゆけ(日記)

金と時間の違い

時間は有限なのに、残量をしることができない

自分が1年後に死ぬことが分かったとしたら。もしその寿命を1年延長することができるなら。自分が1億円の資産を持っていたとして、1年分の寿命を1億円で買うことができるのであれば、ためらわずに1年を購入するでしょう。しかし、もし自分の寿命を知っている第三者が自分の目の前に現れて、「あなたの寿命を私は知っています。寿命を1年伸ばしてあげますから、1億円支払ってください。」と言われて、迷わず1億円支払う人は少ないのではないでしょうか?
ここで何を言いたいかというと、「自分に残された(全ての人にとって有限の)時間をほとんどの人が知らずに生きている」ということです。自分の寿命は、毎日確実に減っているのですが、そのことを自覚している人は案外少ないと思います。全ての人が自分の寿命を知っているとしたら、生き方は確実に変わることでしょう。

お金は、量を知ることができる

逆にお金は、今現在手元にある量を知ることが可能です。通帳を見れが一目瞭然です。この可視化されている点が、時間と大きくことなる点ですね。そして、お金はその価値をプールすることも可能です。それに対して、時間というのは川の流れのように、流れていってしまったものを今から取り戻すことはできません。昨日を取り戻すことは、この世の誰にもできないのです。

今日は残された人生で最も若い日

全ての人間にとって、今日は残された人生で最も若い日です。そして、時間が常に流れていくため、プールすることができません。その残量をしることは誰にもできません。これらの事実を総合すると、「今を生きる。今を最大限に楽しむ。」ということが持つ意味がすこしだけ理解できます。人間はつねに今を生きることしかできません。その今は、自分の人生で残された有限の時間の中で、常に最も若い瞬間なのです。未来の自分からしてみたら、今日の自分は最も若く、残された時間もたくさん持っています。やりたいことがあるのなら、その意味を考えるのはいつも、今なのです。