いまだ金時ラジオ

いまだ金時ラジオ 第5回 複雑系スモールワールド

フランケン
フランケン
エッセンシャル思考、クリックモーメント、錯覚資産kから続く4部作の最終ストーリーは、橘玲さんの「読まなくてもいい本」の読書案内という書籍から、
「複雑系スモールワールド」の世界へみなさんをご案内します。
博士
博士
今回も力作となっております。ぜひお聴きください。

いまだ金時ラジオ 第6回 複雑系スモールワールド

「読まなくてもいい本」の読書案内

主題1 なんで僕らは今、この本なのさ?

実は、僕は、橘玲さんの本は、ほとんど全て読んでいた。橘玲さんは、ぼくが一番大好きな作家だ。
でも、なぜか「読まなくていい本」の読書案内だけは、読んでいなかった。この本はちょっとタイトルが?な感じ。そして、フランケンからこの本が面白いと教えてもらって、かなり驚いた。実際に読んでみて、この本は橘玲さんの本の中でも、もしかしたら、最高傑作かもしれないと感じた。

なんの本なの?
最初に、この本のタイトルを見ると、ああ、色々な本に難癖付けるスタンスの本なのかな、って直感的に思うだろうけど、
意外や意外、そういう本じゃなかった。
本が多すぎる世の中で、読むべき本をはっきりさせるために、読まなくていい理由とともに読まなくていい本に書いてあった内容を教えてくれる本だ。

知識の最前線ってやつは、常に大きなパラダイムシフトを乗り越えてきた。そうやって人類の知識はアップデートされてきた。パラダイムシフトを超えた後の世界にいる僕たちは、その分野の知見を得るためには、パラダイムシフト以前の本を一生懸命読んでもしょうがないでしょう?
だから、橘さんはこの本で、いくつかの領域で起こったパラダイムシフトを紹介して、読まなくてもいい本をバッサリ削ってくれる。
そういうコンセプトの本だ。
言うならば、パラダイムシフト年表みたいな本だ。

この本で取り扱う題材は5つの領域のものだ。
複雑系
進化論
ゲーム理論
脳科学
功利主義

まずもって、なんで一人の人間がこうも多岐にわたる領域に造形を深められるものかと驚いてしまう。そして、一つ一つがとんでもなく密度が濃い。

僕はかつて自分のラジオで、本には薄い本と濃い本があるという話をしたことがある。読み上げ機能を使ったときに、内容が理解できる本と、全くできない本があるという意味だ。
この本は後者の典型で、さらっと目を通すということがほぼできないタイプの本だ。さすが読書案内。

先にあげた5つの領域の話はどれも面白いので、是非読んでもらいたい。
もらいたいけど、ここで紹介するのは重すぎる。だいたいにおいて、橘さんは領域の歴史を要約して本にしたのだから、それを端的にまとめるのは無理です。能力的に。
そんなわけで、今日は一つのテーマに絞って紹介させてもらいたい。

複雑系だ。

長くなったけど、ここからこの本に書かれている複雑系という世界を紹介していこう。

主題2 ポストモダンとリゾーム。因果関係だけでは説明不能なリアルワールド

最初にポストモダンのお話。
1970年代、フランスの思想家。伝説的なスターが、ジル・ドゥルーズ(哲学者)とフェリックス・ガタリ(精神科医)のコンビ。彼らがリゾームという本を書いた。でもこの本、読んでみても、全く意味が理解できない。無意味な言葉遊びのような本。

少しだけ本から引用 意味がわからん
地下の茎(くき)たるリゾームは、ラシーヌやラディセルから絶対的に区別される。球根(きゅうこん)や塊茎(かいけい)はリゾームである。根ないしラディセルを持ついくつかの植物もまったく別の観点からリゾーム状であり得る。。。。。

この難解さがポストモダンの最大の特徴だよ。裸の王様みたいに、わかった風に語るのがポストモダンにかぶれた人たちの特徴。なんでこんなことになっちゃうのかは、ポストモダンの起こりであるウイトゲンシュタインとデリダが徹底的に「言葉」と言うものの意味を殺しちゃったから。この時代の文章は、理解できないことが本質っていうわけのわからん価値観だった。
でも、後になって、このリゾームは何かの真実をついていた、と理解されるようになる。のか?

リゾームという本で著者が言いたかったこと
原因が結果を生み、その結果が原因となって新しい結果が生まれる。こうした因果関係だけでは、世界の現象をうまく説明できない。リゾームとは、壁を覆う蔦(つた)のように錯綜(さくそう)し、どれが幹でどれが枝かわからないもの。でも当時は、このような現象をうまく説明することができなかった。
世界の秩序を、ドゥルーズとガタリはリゾームという概念で表現した。そして、当時はうまく表現できなかったこの概念こそが、複雑系のスモールワールドのことだったのだ。この「パラダイムシフト」を成し遂げたのが、数学者、物理学者、経済学者でコンピュータグラフィックスの父でもあるベノア・マンデルブロだ。あとで登場します。

物理学における決定論は、Aが原因となってBが起きるという因果論で、AとBの関係は一対一で決まる。ニュートン力学は決定論でできていて、質量と位置、加速度などの条件が決まれば惑星の軌道は正確に計算できる。しかし、因果関係や決定論だけではうまく説明できない現象が見つかるようになった。水を入れたコップに花粉を落とし、顕微鏡で覗くと細かく動き回っている現象。いわゆるブラウン運動だ。花粉の移動は、確率的にしか予測することができない。花粉の動きはランダムネスであり、その移動は正規分布(ベル・カーブ)で説明ができる。正規分布の代表は身長や学校の成績。身長150cm、2mという人はいるけれども、身長5cmや身長5mという成人は存在しない。

この話は、物理の真実として考えられていたニュートン力学と言う決定論が、量子論を通じて確率論の特殊な一部分に過ぎない、と言う別のパラダイムシフトにつながっていくね。 正規分布とべき分布、と言うものの違いを論じた領域は何も哲学だけではないんだね。

因果関係とランダムネスをもってしても説明できない現象が世界を支配している。
資本主義のリアルワールドを考えてみよう。
アメリカ人世帯の平均的な資産のボリュームゾーンは900万円前後。それに対して、Amazonのジェフ・ベゾスの資産は8兆2000億円。
この差を正規分布で説明することはできない。正規分布の代表である身長に置き換えてみるとその意味が理解できる。アメリカ人世帯の資産のボリュームゾーンである900万円を日本人の平均身長(170cm)に置き換えてみると、ジェフ・ベゾスの身長は227km。
世界中の人々が行き交うアメリカの空港で、170cmの日本人のとなりを身長227kmのジェフ・ベゾスが歩いている世界。これこそがべき分布(ロングテール)の世界。複雑系と呼ばれる世界だ。
水分子は勝手に動き回っていて、その動きは、ランダムであり、確率的予測可能である。しかし、資本主義経済の中で、個人と個人は、互いに影響を及ぼしあうため、お互いに強いフィードバックを生じる。その結果生じる経済格差の分布は、ランダムネスでは説明できない世界。ロングテール、すなわち複雑系になるのだ。

ほら、わかんないでしょう?実感できないんですよ。言葉にならない。
だから、これを既存の概念で表現しようとすると、ガタリみたいな「ネズミは群れた時リゾーム足り得る」とかになっちゃった、と言う話ですよ。
このめちゃくちゃな世界観に、明確なパラダイムを与えたのが、マンデルブロ。

主題3 フラクタルとハブアンドスポーク理論。複雑系スモールワールドへようこそ。

マンデルブロが見つけた世界の根本法則とはなんだろう。それはラフネス(複雑さ)にも秩序があるということだ。このラフネスを彼は、「ぎざぎざしたもの」と表現した。ラフネスの典型が、入り組んだリアス式海岸のような図形。こうした海岸線のぎざぎざは、無秩序であるがゆえに、これまで科学の対象外だと考えられてきた。だがマンデルブロは、ラフネスにも秩序があると考えた。
一見なんの秩序もない海岸線のぎざぎざは、じつは不思議な特性をもっている。海岸線の一部を拡大すると、そこには同じような海岸線が現れる。全体と部分はどこまでいっても相似形なのだ。カリフラワーや雪の結晶も同じ。ラフネスという概念を使って、自然界の様々な事象がうまく説明できる。
マンデルブロはこれをフラクタルと名付けた。これこそが巨大な知のパラダイムシフトだ。
フラクタル幾何学を象徴するマンデルブロ集合は、足し算と掛け算のたった2つの規則からできているが、それをひたすら繰り返すとコンピューターは奇怪な図形を描く。全体と部分はどこまでいっても相似形なのだ。

ちょっと脱線するけど、マンデルブロの何がすごかってって、概念をグラフィックに落とし込んだってところ。これが数式や理論だけだったら、フラクタルっていうものは市民権を得ることなく、完全にカオス理論に取って代わられていたと思う。カオス理論はフラクタル理論と全く同じ理論で、いわば宗教戦争の関係にあった。マンデルブロ曲線って、誰もが一度は見たことあるでしょう?この破壊力がグラフィックの力だよね。

最後に、複雑系スモールワールドについて。
「ハブ&スポーク」のお話。自転車のハブとスポーク。もっともわかりやすいイメージは飛行機の路線図だ。世界中にある、ハブ空港からスポークのようにして、様々な空港にむけて飛行機が行き交う。
ハブ&スポーク型のネットワークの特徴は、遠く離れているようにみえても実は結構近いということ。北海道の稚内(わっかない)から沖縄の石垣島への移動は大変そうだが、実は稚内空港から羽田に行き、そこで石垣島行きの直行便に乗り換えればいい。これは飛行機に二回乗るだけだから、二次の関係になる。稚内(わっかない)からアメリカのオーランドに行くとしても、三次の関係だ。このように世界は意外と小さい(スモールワールド)。

ここで重要なのは、稚内と石垣島はどんなに利便が良くなってもダイレクトにつながることはないということ。1つ1つの単位のことをノードというんだけど、腕が一本しかないノードのというのは、この世界の端っこ、どんなにスモールワールドが発達して広がりが大きくなっても、片手しかないノードは、広大な世界の一番端っこにいるっていうことなんだ。これはちょっとしたホラーだよ。
人に置き換えると恐ろしい。ボッチのボッチ度が世界規模に増幅するって意味だから。穴倉に引きこもって妖刀ムラマサを打ってるみたいな引きこもり職人モデルは、相当の価値を示さないと、プロフェッショナルボッチになるってことだ。

実際の世界においても、ハブになれる人材とそうでない人材に分かれる。大きな価値をもつのはハブになれる人材。恐縮ですが、私とフランケンがそれぞれハブになれる人材だと仮定します。二人で話をしていて、新しいビジネスを立ち上げることになりました。そこで必要な人材を集める。僕の知人から、3名、フランケンの知人から3名みたいな形でピックアップしてチームを結成する。いずれも専門性の高い人たちで構成されたチーム。でもこれは、ハブになれる人材2人が話し合ったからできること。僕の知人3人とフランケンの知人3人が、ハブの存在なく、勝手に6人集まってビジネスを立ち上げることはできません。

コレはね、頭で理解してもダメなんですよ。広大エネルギーを持った構造が、自分ごと周りの環境をスケールさせていく濁流みたいなものを感じないと意味がわからない。
なんだろうな、グーグルアースで、自分の自宅を探して見てよ。それが最小のノードとしてのあなた。マウスをくるくるっと拡大すると、スケールが変わって街が見渡せる。いろんな建物があって、ここ知ってる、知り合いの家、職場、学校、とか個人的なネットワークが見える。ここで誰かがあなたのマウスを取り上げて、スケールをドンドン上げていく。市がすっぽり見える、ああ、ここに知っている建物が、店が、駅が、とか思った瞬間に、ドンドンスケールアップされる、県が、国が、とか思っている間にもう世界が見えてくる。これが有機的に繋がっているんだって思い知らされる迫力が実感できると思う。
コレは自分の力じゃない。でも、流れとして存在していて、ある程度のコントロールもできる。
この本の中で橘さんも、リゾームは、
「のたうちまわり 、からみつき 、軟体動物のようにひくひくと動き 、不気味に波打ちながらすべてを飲み込んでいくような生理的な気持ち悪さがある 。こうした生々しさは 、複雑系の科学からはきれいに消去されてしまっている 。」
と言った。
この得体の知れなさを直感しているから、この話をしたがる人間は色々と独自の理論を提唱したがるのだろう。
この章の最後にリゾームの抜粋がある。
「リゾ ームになり根をはるな 、線を作れ 、決して点を作るな !速くあれ 。あなたの裡(うち)に将軍を目覚めさせるな !そしてあなたの愛もまた雀蜂(スズメバチ)と蘭(らん) 、猫と狒狒(ひひ)のごとくであるように 。」
うーん、わからん。でも、迫力があるのはわかる。これがポストモダン。

主題4 フランケンの説教ポエム

それではそろそろ説教タイム。

・複雑系を選んだ理由
このラジオでやってきたのは、いわば師匠と僕の人生哲学を体系立てて語る、という作業だ。偉そうに言った割には、やってきたのは他人が書いた本の哲学を引用して並び変えることだ。
自分たちのオリジナルを出せよ!と、思いますか?
僕たちアカデミア出身の人間は、他人のアイデアを引用考察して独自の体系に組み入れてストーリーを語る、ということをやってきた。だから、釈迦や孔子のように、ほぼほぼインプットなしに自分の中から真理をひねり出すなんてことはしない、というかできない。
ぼんやりとした価値観とストーリーを見事に説明できる他人のアイデアを見つけたら、大喜びで使わせてもらう。

そんな中で、Yesには明確な理由が必要だ、という師匠の哲学(正しくは考察)と、自分のために人生を生きろ、という僕の屁理屈は、ほぼほぼ同じ宗教観を持っていて、数冊の本を束ねることで体系化できるよね、という結論に至った。
始めの一冊は3話で紹介した「エッセンシャル思考」。師匠の「コネクティングドットでとがらせたベクトルを、本当のYesを言うために磨き上げろ」という力作だった。

4話で紹介した「クリックモーメント」では、エッセンシャル思考とのかかわりについて僕らの持論を展開した。基本的には「何度も賭けろ、当たったら全突っ込みしろ」が趣旨だったが、この本では、最後のチャプターに大きな謎があった。複雑エネルギーという概念だ。
なにやら複雑エネルギーとクリックモーメントが結びつくとなんかすごいぞ、という内容なんだけど、いまいちすっきり理解できない。

そこで紹介したのが5話「人生は運でも実力でもなく、勘違いさせる力で決まっている」という本だ。
この本では、実力、という要素にすべてが構成されるという天動説的なパラダイムに、錯覚資産という地面を与えて地動説へのパラダイムシフトを演出して見せた。この錯覚資産ループがべき分布に従って、個人の錯覚資産を増大させる、というのがおそらくクリックモーメントで出てくる「複雑エネルギー」というものも断片的な正体ではないかと、僕らは思っている。

錯覚資産が、べき分布だということを感じたニュース。南海キャンディーズの山ちゃんが、蒼井優と入籍会見。これまで、キモい非モテキャラだった山ちゃんが、蒼井優との入籍関係により、一夜にして美女に溺愛(できあい)される超イケてる男という錯覚資産を手にした。しかも、それを日本国民全体の脳内にうえつけた。これこそ錯覚資産が、べき分布であることの証明。

さらに、この複雑エネルギーは、個人という視野からネットワークというスケールに広げる場合にも、特別な意味合いを持つだろう。

スケールをひろげて、個人という地面が複数集まって構成される世界とはどのような姿をしているのか?個人を中心に真っ黒い鍵束みたいにループが集約されるのか?
この地面を動かして見せるのが複雑系のスモールワールド、すなわちフラクタル理論だ。
ネットワークの中では、錯覚資産ループは特定個人を中心とした同心円を描くことは無く、自己相似性を持った世界として表現されるだろうと思われる。

僕はエッセンシャル思考とクリックモーメントは位相の違いだと思っている。エッセンシャル思考でとがらせた槍を、上の階層に届かせて、スケールアップした世界で槍をほかの槍とぶつけて束ねて、クリックモーメントを起こし、さらにスケールを上げて。
この繰り返し構造がフラクタルに連続しているという世界観を持っている。
だから、自分が今置かれている、あるいは作り上げた小さなネットワークの顔つきは、どこまでも自己相似を保ってスケールしていくのだろうと思っている。

自分の身の回りをつまらない構成にしてしまうならば、そのネットワークをどこまで広げてもつまらない世界にしか連結しないということだ。だからこそ、自分自身が面白く価値のあるネットワークの中心近くに位置できるようにならなければならない。これが今回この本を取り上げる事で強調したいメッセージだ。

これが大事だと思うのは、フラクタルが作り出す複雑系ネットワークの力の大きさを実感しているからであり、同時にそこからはじき出されることへの恐怖も実感しているということでもある。

橘玲はこの本で、複雑系を理解するにはパラダイムのシフトが必要だった、と言っている。過去形で、だった、といっているのだ。この文脈で語られる「パラダイムシフト前」の知的格闘の歴史が、ポストモダンの巨匠、ドゥルーズ、ガタリの提唱したリゾームという概念だ。彼らが確実に知覚し、かつ、表現できなかったリゾームを、フラクタルというパラダイムシフトを経て、現在の僕たちは複雑系スモールワールドという概念で理解できるようになっている。
このパラダイムを変えていくというのが人間と学問が持つ力だよね、って事を教えてくれる。

さて、
ここまでで、僕らの考える人生ライフハックはひと段落を迎える。

この先は、このライフハック哲学、とでも言うべきものをどうやって実践に移していくか、と言う事を考えていかなければいけない。

この流れは、お待ちかねのアドラー心理学でしょうか?

エッセンシャル思考から、クリックモーメント、そして複雑系へと世界が拡張しました。そして今後は、再び、エッセンシャル思考と同じ個のレイヤーに戻ってみましょう。アドラー心理学、嫌われる勇気です。この本は、エッセンシャル思考、クリックモーメントを実践するためにも非常に重要な本です。