いまだ金時ラジオ

いまだ金時ラジオ 第8回 なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?

博士
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今日紹介する本は、山口揚平さんの著書である、なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?という面白い本です。
フランケン
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今回は博士の説教ポエムがありますよ。
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いまだ金時ラジオ 第8回 なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?

イントロダクション

これまで僕らは自分のキャリアをどうデザインするべきかっていう話をこのラジオでやってきた。エッセンシャル思考、クリックモーメント、錯覚資産、フラクタル、自信を持って伝えてきたつもりだけど、実は、1つ大きなものが足りない。
それは、今まで話してきたキャリアデザインの哲学を実践しようとする時に、必要なもの。
元手だ。
元手、お金のことだろうか?
間違ってはいない。
お金、マネーは価値を数字に変換した存在で、ほぼ万能に作用するレバレッジだ。お金が解決してくれる問題はいっぱいある。
実際に、ビジネスをしていく上で、様々なソリューションは値段がついていて、大概はお金で買える。
そこは間違いない事実だ。

でも、全てのものがお金で換算することができるのか、というと、そうではない。
青臭いことを言うつもりか、金で買えないものがある。とか何とか。
愛とか生きがいとか、いろいろあるのかもしれないが、今日僕たちが取り上げたいものは、もうちょっと違うものだ。

ビジネスにおいて、お金、マネーで買えないもの。
それは、シナリオ、お金を作り出す文脈、これはお金で買えない。
マネーはマネーそのものが価値を定量化した存在だ。でも、マネーがマネーの価値を生み出すシナリオそのものは、マネーでは買えない。

このシナリオがどうやって出来上がって、どうやって交換されて、どうやって増えていくのか?
ここを理解することで僕らはマネーを生み出すシナリオに干渉することができるようになる。それが僕たちのキャリアをデザインするための元手になる。実際にそうやって僕たちはキャリアをデザインしてきた実感がある。

その概念を綺麗に切り取った本を、またぞろ見つけちゃった。
それで僕らはテンションを上げている。

どうでしょうか先生?

僕のブログのテーマである、お金と時間。
一言で言うなら、お金に人生を支配されるな。
それを成し遂げるためには、逆説的だけれども、お金のルーツを知ること、お金のルールを理解することが必要不可欠。特にお金のルールがこれから先変わっていく可能性がある。

本のまとめより
本書は、お金の変遷を未来まで見据えて考えた生き方論です。

主題1

さて、早速ですが、この本の引用から入っていきましょう。
入りが面白いんですよ。
どんな話から展開するのかさわりを見てみましょう。
・ピカソの絵はなぜ高いのか?
・ピカソはなぜ、ワインのラベルをタダで描いたのか?
・なぜピカソは小切手を使ったのか?
こんな感じでピカソを題材に、マネーの本質を、キャピタライズとマネタイズというと言葉を軸に展開していきます。

・ピカソはなぜ、ワインのラベルをタダで描いたのか?

シャトー=ムートン=ロートシルトというフランス・ボルドー地方にある有名シャトーのワインがある。この1本5万円は下らない高級ワインの1973年モノのラベルは、ピカソがデザインしている。そして、その対価は、お金ではなくワインで支払われた。ピカソの描いたラベルの評判が高ければ高いほど、ワインの価値は高まり、高値がつく。ピカソがそのワインをもらえば、自分で飲むにしろ売るにしろ、価値が高いほうがいいに決まっている。双方に利益のある話である。

まんまキャピタルゲインですね。
マネーリテラシーが高い、というか、いろんな信用取引を勉強している人ならキャピタルゲインで流せちゃうところなんですけど、これって、本当はすごく難しいですよね?
僕は理解できなくて、キャピタルについて猛勉強して、論文まで書いて知り合いの税理士に読ませては嫌がられるってことまでやったよ。このくだりは僕のラジオに上げたことがある。

簡単にいうと、信用クレジットっていうのは株と同じ、上がったり下がったりする。人の持っている信用、紛らわしいけど言い換えれば信頼度、トラスト、これも上がり下がりする。この信頼度が上がったぶんだけ、それをお金に変換した時に差分が大きくなる。この信頼を積み上げる作業が、お金を増やす。そうやって信用クレジットをお金に変えることをキャピタライズ、ってこの本では言った。はず。合ってる?だいぶ勉強したんだけど!
この、クレジットを積み上げるものが覚悟と信念、コミットメントとプリンシパルだっていうのね。

この本では著者はマネーが生まれるためのシナリオを三段のピラミッドで表現している。その1段目の土台の真ん中にまず覚悟、コミットメントがある。これに信念、プリンシパルが加わって、2段目の信用、クレジットが生まれる。
このクレジットをゲインさせることで、ゲイン幅をお金にすることができる。このシナリオがキャピタライズ、文字通り信用創造って言ってます。
あ、この部分はこれ以上やると30分話しちゃう、前科一犯ですから。
ここでは、「信用クレジットからマネーを作るシナリオがキャピタライズ」、ピラミッドの片腕だって覚えておいて!テストに出ますよ!

さて、山口さんの信用の話考え方の話をもう少し掘っていきましょう。

・事業をつくるとき、僕(山口氏)は、お金を「パテ」としてみている。お金は、思いやコミュニケーションで埋められない〝溝〟を埋めるための補助剤である。まず信用の土台があり、そのうえで互いに価値を提供しあう仕組みを考える。ビジネス上、どうしても必要な設備投資や人件費を除けば、お金はコミュニケーションの摩擦をなくすための潤滑油にすぎない。

これは、著者の信用第一主義とでもいうんでしょうか、お金かメインではなく、お金を作り出す信用がベースだっていう考え方を端的に表していますね。信用同士のバランスの中で、差分を共通言語であるお金で補填する、というニュアンスですね。

・僕(山口氏)のお金に対する考え方も、この10年でガラッと変わった。昔は、欧米のように「一生分のお金を貯めて、引退することが目標」と思っていたことがあった。だが今の僕は、毎日をとてもわくわく楽しく暮らしていて、それを1分1秒でも長く続け得るにはお金があとどれくらい必要か、と考えている。つまり、まず幸せな状態をつくること、次にそれを長く楽しむためにお金があるという考え方だ。

FIRE、否定しているわけじゃないですけど、道のりの中で、主従がひっくり返ってしまっちゃいけないよ、ということですよね。FIREの過程そのものも、また大事な人生の一部であって、お金のためにスポイルしていいものじゃない。

さて、ここでちょっとピカソに関する別のエピソードを取り上げてみましょう。お金を作り出すシナリオ、ピラミッドの反対側。キャピタライズの反対腕のエピソードです。

・あるレストランにピカソが訪れた時、ウエイターの一人がこうピカソに言った。
「このナプキンに何か絵を描いてもらえませんか?もちろん、お礼はします」と。ピカソはこれに答え、30秒ほどで小さな絵を描いた。そして、にっこりと笑って「料金は、100万円になります」といった。ウェイターは驚いて、「わずか30秒で描かれた絵が100万円ですか!?」と聞いた。それに対して、ピカソはこう答えたという。
「いいえ、この絵は30秒で描かれたものではありません。40年と30秒かけて描いたものです。」

ひとつの物事が結実して目に見える価値(バリュー)になるには、才能と、長い歳月の努力と、コミットメントの結果である。だから、目に見える結果だけを評価してはならない。それが生まれ出る原因に、目を向けなければならない。
お金とは常に結果である。それは長い期間における価値(バリュー)の創造の結果でしかない。僕たちが目を向けるべきは、原因たる価値なのである。

さっきのキャピタライズのシナリオの反対腕の話です。マネーが生まれるためのシナリオを三段のピラミッド。1番下に、コミットメント、つまり覚悟があるって言ったでしょう?。これに、今度はミッション使命を加えて、バリュー、価値が創造されるっていうんですね。
著者のいうバリューの考え方、このバリューがお金になるシナリオをマネタイズ、って言ったんです。
ここ大事です。
「バリューをマネーに変える、マネタイズ。」
ここもテストに出ますよ!

どうでしょうか、マネーが生まれる2つのシナリオ、クレジットからのキャピタライズ、バリューからのマネタイズ、呪文のように唱えてくださいよ。
これはピラミッドの2段目です。

ピラミッドの1段目についても少し取り上げておきましょう。
これは、シナリオを駆動するモチベーション論になります。
1段目の要素としては、中心に覚悟、コミットメント、バリュー側に使命、ミッション。クレジット側に信念、プリンシパルがあります。
ここでは全部やると、くどくなっちゃうので、読み味がカッコよかったミッション、バリューの根っこにある、ミッション、使命について取り上げてみましょう。

・僕たちの人生は、僕たち自身で形づくらなければならない。自分の人生を自分でデザインするということだ。デザイン(design)の語源は、デ(de:削る)・ザイン(sign:形作る)である。これはラテン語で、「私欲(ノイズ)を削り落とし、本質を磨き上げること」を意味する。私欲(ノイズ)を削り、自分自身を透明(ニュートラル)な状態に保つことによって、使命(ミッション)に沿った生き方ができるようになり、それが社会にとっての一番の価値創造や貢献につながり、結果的にお金となって返ってくる。

私欲(ノイズ)を削ることとともに、使命(ミッション)を生きるコツは、できるだけ、「持たない」生活をすることだ。「持たない」とは、物理的にはもちろん、精神的にも透明(ニュートラル)な状態を保つということである。これはつまり、過去につくられた規範やルールに縛られることなく、無用なこだわりやイデオロギーを持たないということだ。

ここは先生がピックアップしてくれた部分で、僕もかっこいいなって思ったところ。観念論的になっちゃうから、要するに何?って言われると説明しずらいんだけど、この本は随所にこう言った迫力のある観念論が出てくる。「人生を自分で、デザインしろ!私欲を削ってミッションに沿って生きろ!」あー、これ、若者向けのセミナーとかでやりたいですね。

主題2

さて、この本では、ピラミッドの頂点である、お金、マネーについての本であるにもかかわらず、だんだんとフォーカスをマネーからシナリオに移していくという、ややトリッキーな構造を持つ本だ。
マネーはマネーだ。マネーからマネーを生むビジネスに身を置いていた著者が、シナリオから分断されてしまった「数字としてのマネー」に対する強い嫌悪感を展開していく。
そこで出てくるのが「シナリオのインタラクション」という概念だ。これはとても斬新に見えて、親しみやすい考え方になっている。
この本の本題です。
気合い入れて行ってみましょう!

・価値(バリュー)と信用(クレジット)が両方あって価格につながる

価値と価格の差を長期にわたって生じさせる原因は何か?
僕(山口氏)、それが会社や個人の持つ「信用(クレジット)」の差であることに気づいた。

ある高名なバイオリニストが地下鉄構内で一日中バイオリンを弾いていたが、その稼ぎは、他に多数いる地下鉄のバイオリン弾きに全く追いつかなかった。価値の高い演奏をすることは間違いないだろうが、それ以上に、彼が高名であることを観客が知っている状態でなければ、集客にはつながらないのである。

まず、バリューは、クレジットによって修飾されうる交絡的な因子である、ということだ。これは個人の中で違いを修飾している。互いに交絡する因子が個体の中ではなく、個体間に分かれて存在する場合、お互いが持つ価値と信用はそれぞれを修飾し合うことができる。また、それらを交換することもできる。これがこの本の最大のテーマになる。
だから、僕らは、マネーではなく、シナリオであるバリューとクレジットに注目しよう、この本は熱っぽくそれを語る。

・お金とは、価値(バリュー)の結果であるとともに、信用(クレジット)を数値化したものである。僕たちが管理すべきものは、信用総量であってお金の額ではない。

・事業とは何か?ドラッカーは、「事業とは顧客の創造」と言った。僕はそれを少し変えて、こう言いたい。「事業とは価値と信用を創造するゲーム」である。事業においては、短期的に稼ぎ出すお金以上に、その裏側にある信用が大事になるのだ。

ここはすんなり飲み込んで欲しい、ドラッカー、簡単に読みたければ「初めて読むドラッカープロフェッショナルの条件」Kindle版で1400円!
はい、すいません、続けてください!

・昔はお金は、物と物の交換を円滑に行うためのツールだった。利便性の高いお金というツールは、ほとんどの物と物の交換に使われるようになり、いつしか、お金自体が価値を持つようになった。実体経済は約7 0兆ドル、それに対し金融経済は約570兆ドルに達している。つまりこの世界には、実体の8倍にのぼるお金が常に存在していることになる。

・お金の価値を担保するもの
現在のお金は、最初に述べたとおり、国家の信用に基づいている。いまだ国家は大きな存在ではあるが、近年、国家という共同体のあり方は不確実になってきた。

マネーそのものに価値を求める経済観念に対する警鐘ですよ。
マネーの価値は絶対的なものじゃない、価値を支える根本が揺らぐと、マネーの価値も揺らぐんです。現在、グローバル経済の発展によってその根っこが変わろうとしている。現在のマネーは、著者のいう階層構造の、1番プリミティブな制限を根拠にした脆弱なものかもしれない、というのが著者の主張です。

・第1層に、地政学的に切り分けられた「国家(ソブリン)」、その上に第2層として、国境を超えて地上をまるで雲のように漂う「企業(グローバル・カンパニー)」、最後に第3層として、さらにその上にオゾン層のように点在し結びつきあう「個人間の紐帯(ネットワーク)」がある。

・(第二層)、グローバル企業の経済を前提とすると、実際、アフリカの小国が発行する通貨よりも、トヨタとウォルマートが共同して発行するお金、航空会社のマイルレージのほうが信用力が高いことがわかる。そして企業は国に縛られず、世界中に展開することが可能であるため汎用性を高めやすい。

これは、通貨という国が担保するお金では、第二層のお金の流れをコントロールできない、という意味ですね。

・(第三層において、)ソーシャル・ネットワークは、個人間の紐帯を明らかにし、強固にし、組織化し続ける。早晩、ウェブは我々の「履歴書」となり、個人の「信用」の源泉となるだろう。

最終的に、個人が発生させる信用は、ネットワークを介して直接価値との交換を始めるだろう、という話に展開していきます。これは冴えた考え方ですよ。
「原始社会では、物々交換が価値交換の手段だった。でも、物々交換はロスが大きいので、このロスを埋める道具として「マネー」が発明された。
マネーはその利便性ゆえに、価値そのものとして振る舞った。
それがバブル経済。
今、第三層のパーソナルなネットワークが、距離やタイミングや需要供給量などの諸々のロスを埋めてしまった。したがって、このロスを埋めるための道具にすぎないマネーは、役割を終える。」
そう言ってるわけですよ!
これはとんでもなく熱いですよ?

・具体的には、ふたつのことを意味している。ひとつは、お金(国家発行のハードマネー)を貯め込む意味が減ること。ふたつ目は、個人としてみずから価値や信用を創造することが、いっそう大事になること。

ここです。
この本の肝はここなんですよ。
でも、「将来そんな社会が来るのか〜、へ〜、来たら面白いな〜」って読んじゃダメな本なんですよ。
大事なことは、そういう社会がすでに部分的に実現している。
「部分的に」いっていうところが最大の肝なんです。
この、「価値の代替になるロジック」が部分的にマネー社会に並存している、という部分に注目しろっていう本なんですよ。
僕はね、この本をそう読んだ。
この本を読んだ人、最後のくだりで筆者が発展途上国にクレジット経済社会を出現させに行っちゃうところでポカーンとするかもしれない。どこ行くんだ?って。
でも、この筆者はこのクレジット経済が現在のマネー経済に並存している今が唯一のタイミングだと思ってるんだと僕は思う。

次のセッションで、僕らは何をやるべきかっていう話をしていこう。

パネルディスカッション

さて、このラジオ、僕たちはこれまで「生き方」と言う観点を深掘りしながらここまでやってきた。そして最終的に、と言うか現時点で行き着いた共通の考え方というのが、価値っていうのは主観的なもので、その主観のベクトルが近い人、つまり「同じものに同じような価値観を与える人と価値を共有する」という考え方だった。ように思う。

だから僕らはなんらかの経済的基盤や生活の安定を確保した上で、人との繋がりをどうやって面白い形で繋げるかに重きを置いている。年がら年じゅう飛び回って人と会ってる。
そうですよね?

安定した収入があり、まとまった資産を蓄えた人がいたとする。その人は、そこから先も通帳に記される数字をどこまでも増やし続けるのだろうか?
僕は、そこから先は、コップから溢れたお金は、別の価値に変換したいと考えるようになった。働く時間を減らす、自分の人生豊かにする体験や交流にお金を使いたい。人生に彩りを添えるということを考えた時に、面白い人に会うというのは何にも代えがたい喜び。

「それがなんになるんだ」っていう人たちに、僕は今まで人の繋がりが持つ価値をうまく説明できなかった。
いわゆる営業っていうのは説明しやすい。例えば今週は公的な仕事で方々回ってきたんだけど、ひと契約取り付けていくら、あるいはいくら払うので仕事してねの交渉、なんていうのはマネーありきの仕事なんですよ。この一連の仕事で増えたコネクションって、契約期間が切れたら一緒に切れちゃう。もう一回繋がりたければ次の予算を用意しろよっていうコネクションなんですよ。
ビジネスライクに考えると、必要な時に仕事を持っていけるっていうのも大事なコネクションなので、それを人脈って言っちゃう風習があるけど、やっぱりなんか違う。テレビCMにあるでしょう?あそこの会社にコネあるか?ない、何とかして繋がりたい、みたいな流れから、社長のゴルフボールにその会社のロゴが印刷されていて、「社長〜勘弁してください!」名刺管理のナニナニサービス、みたいなやつ。あれなんなんですか。そんなのが繋がってたらなんだっていうんだよ、って思いますよね。
少なくとも僕はそう思うんですよ。名刺交換、しかも人づてなんて、コネクションって言わんでしょうよ。
でも、このコネクションに価値を見出す人は、今僕たちがやっているようなネットワークづくりに金と時間を注ぎ込む行為が理解してもらえない。
「それがなんになるの?」
「それがいくらになるの?」
僕らの主観では違うんですよ。
ネットワーク自体に価値が蓄積する、人の繋がりがそのまま価値になっていく、この感覚を綺麗に説明してくれた名著だと思います。

その辺りが今回は先生にビンビンきちゃってるわけで、いつもは最後のコーナーはフランケンのポエム説教で締めるんですが、今回は師匠のポエム説教が炸裂しますよ。

面白い人をみつけたら、日本中どこにいても、すぐに会いに行く。
交通費、宿泊費、飲食代が当然かかる。だから普通の人はそんなことしない。でも、相手にしてみたら、「この人は、それくらい高い価値を自分の中に見出してくれているんだ」という信用(クレジット)を生む。

同じ 1億円でも 、画家が一生をかけてその魂を描ききった傑作についた価格と 、株式公開によって 1日で増えた時価総額とでは 、背景にある意味や物語 、言語化できない価値がまるで違う 。だがそれらを値づけしたとき 、絵画と株式は同じ土俵で評価され 、比較できるようになり 、人びとの意識はそれらの 「生 」の価値からお金の額 =数字へとスライドさせられる 。こうして 、あらゆるものが無機化されてしまう 。

お金はお金にすぎない、お金を生む文脈が大事。これはこの本を読むと、そうそうそうってすんなり受け入れられる。

お金を中心とした資本主義の基本的な考え方は、17世紀、デカルトの時代に成立した哲学に基づいている。それは、「物事は、要素に分解し、客観化することによって捉えることができる」という思想である。この数字で世界を捉えるという哲学が、現在の「お金をコミュニケーションの中心に置く」という社会システムにつながっている。

お金によって下がるモラル(倫理)
月の土地が3000円から買えるし、角膜は3万ドル、肝臓は13万ドル、心臓は15万ドル。人身売買が自由にできる国もある。僕たちが、お金でケリをつけてはいけないと思っている魂や身体的なもの、柔らかい情緒的なものがどんどん商品化されることによって、僕たち自身も徐々に切り刻まれてはいないだろうか。労働の価値や時間も切り刻まれ、あるいは、もしかしたら人生そのものも切り刻まれていく。

何かに値段をつけるのはまあいい、損害賠償しかり、値段をつけざるを得ない側面は何にでもある。でも、僕の何かに値段をつけて、「金をやるからそれをよこせ」はお断りだ。角膜が3万ドルなら、角膜は中古車より貴重で、フェラーリより価値が低い、そういう理屈に巻き込まれると、文字通りモラルを失う。
昔、ラジオで伊集院光がすごいことを言ってた。善良そうなおばあさんに、いくら金を積んだらおじいさんをひっぱたくのかって。どこかに閾値はあるのかもしれない、でもそれがモラルの価値なんだろうかって。

物々交換
経済学では、「欲望の二重一致」という言葉がよく使われる。これは、AさんとBさんの双方が求めているものを厳密に一致させることは難しいため、お金の額という厳密な数字を使って、双方の欲望を一致させて取引を成立させるほうが効率的だという考え方だ。たしかに、二重の欲望を同時に一致させることは難しい。ところが、もしAさんとBさんに信用の土台があれば、厳密に欲望を合わせることができなくても、「まあ、ちょっと合わないけど、あの人だからこのくらいでいいか」という緩やかな基準が適用される。「遊び」が許容されるのだ。この許容は、双方の精神的な信用残高から生じるものである。信用(クレジット)の基盤のもとで、価値(バリュー)を直接交換する。信用のクッションがある程度の遊びとして作用するのだ。
(例)オリンピックをみに東京に行く。東京のホテル代はめちゃくちゃ高い。昔から仲の良かった友達の家に泊めてもらう。お礼に地元の肉とワインを持参してプレゼントする。

その意味において、僕たちは信用残高を積むことに加え、摩擦をマネジメントするスキルを学ばなければならない。それがなければ、摩擦はゼロだが切れ味が鋭すぎる化学物質、つまりお金に毒されて、今後も生きていくことになるのだから。

先生、今日はキレッキレですよ。
「摩擦をマネジメント」なんすかその切れ味のいいフレーズは。

give and take ではなく、give and givenという仕組み
それは、自分が価値を提供した相手本人から直接価値(貨幣)を得るのではなく、目の前の誰かに与えた価値が信用残高となって蓄積され、その価値が別の誰かから返ってくるという関係である。三者間以上の価値提供関係が幾重にも重なった世界、つまり、誰かに与えたら別の角度から与えられる関係が、これからの新しい経済システムになっていくのではないか。

そして、その経済は、長い目で見たら「まあ、いつかは返ってくるだろう」という程度の曖昧なものではない。与えた価値が別の角度から返ってくるということが、短期間に、確実に、明確な形を伴って起こる。そして、信用を土台とした価値の直接交換を実践する人が増えれば増えるほど、その価値還元速度は速まるのである。

昔、僕と師匠で寿司を食べてて、若い人間こそこの三角形をマネジメントするスキルを磨いてほしいっていう話をした。
そんなに高尚な話ではなく、お金がないのに信用だけでスタートアップするにはどうすればいいのかって話。

例えば何かの機材を作りたい、その予算はない、一銭もない。そんな時にどうするのか。
機材を作ることができるAさんを口説く、僕はこれがほしい、これを使ってこんな研究や活動をしたい。できる?作ったらそれはAさんの所で商品にして売っていいよ。いくらあればいける?100万。じゃあ、一緒にスポンサー探そう。Bさん、あなたこの領域のノイエスを導入してサービスの差別化を図りたいって話してたよね、今Aさんとこんなことやりたいんだけど、100の支援できない?もちろん商品展開するときは取り分ありで。原価ベースで100かかる仕事で、他所に外注だと300くらいになる内容なんだけど。この要素を入れるとBさんにも十分メリットある?じゃあAさんはこの要素入れ込むことできる?Ok、じゃあBさんとAさんの法人で100の契約を結んでもらって。
よかったよかった。

こんな感じ。元手ゼロでやる商品開発ってこんな感じ。誰かがAさんにマネーだけの関係でお願いすると300用意しなきゃいけない案件がみんなで価値とクレジットを持ち寄ることでウィンウィンが発生する。

もっと言えば、この時にBさんの技術でAさんに提供するようなものがあれば、共同開発事業として、この100万とバランスさせることで現金のやり取りを一切発生させずに2つのプロダクトを開発することができる。

わらしべ長者ですよ。
僕は最初のわらしべを10万でスタートした。今も忘れない。あの小さな10万のウィンウィンを自分で作り上げたことが全ての始まりだった。
あとは単にスケールの問題。バジェットが億を超えるのにはそうそう時間はかからない。

コミュニティーの創造に投資する
これからのコミュニティの土台は、場所でも仕事でもない。その人が何を考えているか、何を大事にするか(美意識)といった軸で、人びとはつながっていくようになる。価値観がコミュニティの土台になるのである。人は、近所に住んでいる他人、話の合わない職場の同僚より、世界の果てにいて価値観のあう友人との結びつきを、ますます強めていく。

これから、物質的に余剰の多い先進国に住む人びとは、人生の目的を、「生存」から「創造」へシフトしていかざるを得ないくなるだろう。そのとき、失業率は、もはや負の数字ではない。むしろ「労働開放率」と言い換えるべきかもしれない。

著者まとめ
さて、これから僕たちが住む世界は、お金がお金を生む世界ではない。価値(バリュー)が信用(クレジット)を紡ぎ、それが時にお金となって返ってくる。あるいは価値や信用が、その有機的な姿を保ったままで流通され、新しい価値を生み出していく世界である。その中で、僕たちはもっと幸せで自由に生きていくことができるのだ。

うーん、至言。
バリューとクレジットが紡ぐフラクタルなマーケット。
これを知識ではなく、皮膚感覚で捉えるスキルっていうのがこれから求められるようになるんだよ。間違いなく。

博士の説教ポエム

といいつつ説教でもなんでもない(笑)

1)お金の逓減(ていげん)
橘玲さんの幸福の資本論という本に書かれていた。経済用語に「限界効用の逓減(ていげん)」という言葉がある。
これは非常に単純な話で、1杯目のビールは美味い。2杯目もそこそこ美味い。
でも、5杯目のビールの味は、1杯目の同じだろうか?どちらのビールも値段は同じですよね。これと同じことが金融資産についてもいえる。100万円?1000万円?2000万円?1億円?5億円?それぞれの人にとって、どこまでが1杯目のビールなのかはわからないけれども、いずれ限界効用は逓減してくる。多くの勤め人にとって、お金は資本家に対して労働力を提供して得たもの。労働力とは、つまりは自分の時間だ。お金がたくさん貯まったというのは、言い方を変えるとそれだけ多くの時間を労働力として投下したとも言える。

お金はものすごく大切だけれども、お金を増やし続けることが人生の目的になってはいけないと最近感じる。

そして最近の僕は、お金の見方を少し変えた。
人に対してお金を使うようになった。
物をお金で買うのと、人に対してお金を使うのは全く違う。

2)飲茶先生の14歳からの哲学入門という本の中で、フランスの哲学者「ボードリヤール」について紹介されている。フランケンの通勤ラジオにもよくでてきますね。

かれは、「資本主義社会は、すでに生産時代を終えて、記号を消費する時代になった」と語る。
わかりやすく、中古車の軽トラ(15万円)と新車のベンツ(1500万円)について考えてみよう。ベンツと軽トラを並べて展示しておくとする。そこに、ベンチャー企業の社長がきて、新車のベンツを1500万円で購入したとする。セールスマンが、「隣にある軽トラも1500万円で買いませんか?」と話したとしても購入される可能性は0%だろう。
でも、これが、200年前の日本だったとする。当時の通貨価値で1500万円のベンツを購入した資産家に対して、「となりの軽トラも同じ価格で買いませんか?こちらはたくさんの荷物を運べますよ」とプレゼンしたらどうだろうか?おそらく購入してくれるはずだ。

現代では、中古の軽トラと新車のベンツは100倍の価格差がある。でも、それってベンツという記号を消費しているだけではないですか?というお話。

3)人にお金を使うということ
僕は、会いたい人がいたら、東京でも大阪でも気軽に飲みにでかける。最近の僕が好きなフレーズで、「クジラを釣りに、遠洋漁業にでかける」というもの。僕が会いに行く人はクジラだ。時間とお金をかけて会いに行く。交通費やホテル代を考えたら数万円はかかるだろう。でもそこで使ったお金は、二人の間に思い出や体験という共有財産として残される。お金が思い出や体験という形に置換されたともいえるだろう。現金(最近はお札を見る機会はなく、通帳に記録されている数字です)を蓄積するの?それともお金を思い出や体験にどんどん置換していくのか?
今の僕は、後者を選ぶ。

4)本当に楽しいことにはお金が必要なくなっている
僕の生活を振り返ってみて、人生の付加価値の高いことって、どんどんお金がかからなくなっている印象を持つ。例えば、このラジオ。かかったお金といったら、数千円のボイスレコーダーと書籍のお金くらい。でも、今まで自分にとっては未知の領域である、哲学について考えたり、自分の思考をまとめてみたり、ラジオやブログにのせて世間に広めることができる。少なくとも50年前には考えられなかったような道楽だ。僕は仮に1500万円のベンツを買ったしても、このラジオの面白さを超える喜びは得られないと思う。

価値の交換を基本原則にした僕は、なんかもう市場経済の枠組みの中でマネーを触ることはなくなっちゃった。誇張でもなんでもなく、全ての必要なものはマネーではなく価値の交換で捻出する。これは個人レベルで可能な生き方ですよ。そうじゃなきゃ僕は毎週飛行機乗ってないでしょう。これ、お金に換算するとどうなるんでしょうかね?4桁くらい行っちゃうんじゃないか。でも、全くリーガルな価値創造サイクルの中で、僕が移動すると色々なところに価値が発生するっていう世界が出現していて、みんなが利益を上げている。僕は信用、クレジットそのものとして商取引の中で流通しているのが実感できる。そんな世界の住人としては、この本が示す未来像は、全く違和感がないんですよ。