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21 lessons

あざらし君
あざらし君
ユヴァル・ノア・ハラリ先生最新作。21 lessons。前半のレビュー。

ハラリ先生の最新作

ユヴァル・ノア・ハラリ先生は、1976年生まれの歴史学者。
サピエンス全史
ホモデウス
の作者でもあります。

21 lessons

まず、このような読み応えのある本が2000円とちょっとで買えるというのは超コスパ良いですね。図書館で借りたらタダです笑

自由は、何らかの社会的セーフティネットと一体になっていないかぎり、たいした価値はない。民主主義と人権と自由市場と政府による福祉事業という、自由主義のパッケージこそが唯一の選択肢として残った。

ここは、今度いまだ金時ラジオで取り扱う予定の正義の教室でも取り上げられていた、「自由主義」について。

お金を稼ぐのも自由。稼いだお金を自分の好きなことに使うのも自由。
もちろん、そうですが、資本主義、自由主義というのは、必然的にお金を上手に稼ぐ人と、そうでない人にわかれてしまうため、格差がどんどん拡大していくという構造的な問題をかかえています。

お金を稼ぐ自由を認めることと同時に、お金を上手に稼ぐことができな人たちが、(最低限)自由に生活するための権利も保障する必要があります。

私たちは実際、高い失業率と熟練労働者の不足という、二重苦に陥りかねない。

自動車が発明されて、馬車が不要になった。ここで、馬車を走らせていた人は、タクシー運転手に職業変更することができました。でも、スーパーのレジ打ちをしていた人が、その職業が不要になったときに、「ドローンがシンクロして動くプログラミングを作るエンジニア」になれるのか?と言われたら答えは多くの場合NOでしょう。過去には、新しいテクノロジーにより特定の職業が不要になり、新しい職業が生まれた場合は、自然に労働者の移動ができましたが、近代では失業率が高まっても、熟練労働者になれる人がいないという問題があります。

政府は普遍的な最低所得保障、もしくは最低サービス保障の助成金を支払うことになるだろう。

新しいテクノロジーによって、職を失い、そうかといって、新しいテクノロジーに必要とされる熟練労働者にもなれない人が増加していく。そうなると、政府は普遍的な最低所得保障(ベーシックインカム)について考えざるをえなくなります。
ほんの一部分のお金を稼ぐことに長けた人から徴収した税金をもとに、普遍的な最低所得保障を行う。そうでなければ、最低サービス保障を行う。これについては、例えば、水道代を無料にする。医療費を無料にする。教育費を無料にするといった政策です。ただ、医療の現場にいると、救急車の不正利用などをみていると、最低サービス保障というのもなかなか課題の多いシステムだと思いますね。

ポスト・ワーク世界で満足した人生を送る実験が、これまで最も大きな成功を収めているのはイスラエルかもしれない。この国では、ユダヤ教超正統派の男性の約半分が一生働かない。彼らは聖典を読み、宗教的儀式を執り行なうことに人生を捧げる。

テクノロジーに進化により、すべての人が働く必要がなくなる。そのようなポストワーク世界で、人は何をして生きていくのか?

トヨタはテスラは自社の自動運転車を設計するときに、倫理の哲学の理論的問題を工学の現実問題に変えることになる。

自動運転の車が、突然飛び出してきた子供を検知した際に、「子供を急ハンドルで避けて、側方のトラックに激突させる。運転手は死亡する可能性があるが、子供は助かる」というアルゴリズムを採用するのか?それとも「運転手を守るために、子供を跳ね飛ばす」というアルゴリズムを採用するのか?

この問題についても、飲茶先生の正義の教室で取り上げられている面白いテーマです。
正義とは何か?我々はどのような正義を選択するのか?という哲学的な課題を、自動運転車の開発の際は考えなければならない。

21世紀の最も重要な資産はデータで、土地と機械はともにすっかり影が薄くなり、政治はデータの流れを支配するための戦いとなるだろう。

かつて、穀物を栽培したり、鉄や銅といった金属が発掘できる土地を所有する者が富を得ました。そのため、領地の奪い合い、戦争が絶えませんでした。でも、今の時代に最重要なものはデータ。データの獲得のため、GAFAやBATHといったグローバルIT企業がしのぎを削り合っています。グローバル企業だけでなく、中国対アメリカといった国同士の対立も問題になっています。ちなみに、ハラリ先生は、ホモデウス、21 lessonsの中で、データ至上主義、アルゴリズムが人間を支配する時代に突入していると指摘しています(人間が神を超越して、ホモデウスに進化するというお話)。

現代では、世界中の人達はほぼ全員が同じ文明に属している。

300年前であれば、オリンピックのようなイベントを世界で同時に行うことは不可能であった。でも、今では、各国が同じような国旗をもち、同じような国歌をもち、共通のスポーツで順位を競い合うというルールを共有している。日本人とエチオピア人が、「マラソンに勝つために何が必要か?」というディスカッションをおこなことも容易になっている。それ以外にも、法律の作り方、税金の集め方、病院の建設、爆弾の製造方法など、世界中の人達が同じようなディスカッションが可能になっている。つまり、世界中の人はほぼ全員が同じ文明に属しているといえるのだ。

そして、21世紀の大きな難題はみな、本質的にグローバルだ。
核戦争、気候変動(地球温暖化)を防ぐためには、各国が協調して議論する必要がある。

データ至上主義

これは、ハラリ先生の主張の軸になっているもの。
これは、ホモデウスの中で引用されていたデータですが
現在の地球上の大型動物(体重が数キログラムをこえるもの)の合計体重は
家畜 7億トン
人間 3億トン
野生動物 1億トン

つまり、地球上の大型動物のほとんどが家畜化された動物ということになる。
家畜化された動物というのは、牛乳がたくさんとれる乳牛や、霜降り和牛といった感じで、人間の食料として改良されたものになっている。
動物を家畜化して、その死体を運搬して人間の食料とすることについて、もう一度よく考えたほうがよい。
ハンバーガーを食べるために、牛を家畜化して、狭い環境で太らせ、殺して、死体を運搬するというよりも、もう少しよい方法があるのではないだろうか?
最近では、昆虫食に注目が集まりつつあります。大型動物を食肉のために育てて殺すよりも、よい方法があるのかもしれません。

そして、人類もデータ至上主義の前では、家畜と同じように扱われてしまう可能性があります。

実際、データ至上主義、アルゴリズムが世界を支配するようになると
・新しくできたお店にいくためにgoogle mapが示すとおりに移動する
これは、スマホを持っているほとんどの人がしていることだとおもいます。
これも「人間が地図をみてお店まで歩いていく」よりも「アルゴリズムに依存したほうが楽で、正確」という思考に基づいています。

これがさらに進化すると
・アマゾンが自分の過去の購買データから、次に買うべき本をリコメンドする
・NETFLIXが過去の閲覧データから、次に見るべき映画をリコメンドする
このあたりまでならよいですが
・マッチングアプリが、デートすべき相手、結婚にふさわしい相手をみつけてくれる。
・自分の学歴データから、将来自分が進むべき大学、就職すべき職業をアルゴリズムが決定する。
このあたりになると、人間の意思決定とは何か?が疑問になります。
人間はアルゴリズムをより充実したものにするために、良質なデータを提供する存在となり、日々スマホやインターネットを使う存在になってしまうのかもしれません。
そうなるとアルゴリズムを支配するものにとっては、人間はデータを提供する生き物(家畜?)という位置づけになってしまいかねません。

参考
ハラリ先生のホモデウスの要約は、こちらをご参照ください。すごくよくまとまっています。無料です。