俺の屍を越えてゆけ(日記)

僕らは臆病者の子孫

生存に不利な戦略をした個体は淘汰されてきた

僕らは臆病者の子孫だ。人間に限らず、動物は、遺伝子の乗り物とも呼ばれている。遺伝子が自分のコピーを後世に引き継ぐために最適な行動をした個体が生き残るようにプログラムされているそうだ。
太古の時代から、僕らのご先祖様は、生き残って子孫を残すか、途中で淘汰されてしまうか?という生存競争を勝ち残ってきた優秀な遺伝子をみんな引き継いでいる。

太古の時代であれば
・猛獣がいる大地では、常に猛獣に襲われないように警戒する個体
・群れから追い出されてしまうと、生き残れない可能性が高く、群れから追い出されないような社会性を持った個体
・暗闇で、崖から突き落とされたり、鈍器で不意打ちをされて殴り殺されてしないようにある程度の社会性を持った個体
が生き残り、そうでなければ、遺伝子を後世に引き継ぐことなく、その遺伝子はこの世から無くなってしまったのだろう。

太古における生存戦略と現代の生存戦略の違い

現代のように、SNSで人と人が容易につながったり、資本主義経済の中でお金をいかにして手に入れるか?というゲームのような世界。太古における生存戦略と現代における生存戦略は明らかに異なるはずである。でも、僕らの遺伝子に組み込まれたプログラムは、太古の時代から引き継いできたもの。だから、OSとしたら相当古い時代に最適化されたものが多く残っている。
現代であれば、群れから外れても生存することはできるし、周囲と異なる行動をし続けたとしても、仲間から鈍器で殴られることもない。
むしろ、資本主義の世界では、他人と異なる価値観が有利に働くことの方が多い。
古いOSを現代にフィットしたOSに書き換える必要があるのかもしれない。でも、ほとんどの僕らの行動は無意識に支配されているから、それは容易なことでは無いのだけれども。