空飛ぶロボットは黒猫の夢を見るか?(日記)

生き残る医師と絶滅する医師に関する考察

博士
博士
ワシの最高傑作のロボットを紹介しよう
フランケン
フランケン
博士。。オレ。文章書くぞ。

生き残る医師。絶滅する医師。

進化する必要のない環境におかれた日本の医師達

カブトガニが進化しなかった理由は、進化する必要がなかったからだ。現状で環境に適応できているため、変化する理由がなかった。カブトガニは無補給で2年冬眠できる。2週間呼吸も必要ない。収益スタイルが確立した臨床医に向上心が見られない理由は原始的な進化論で説明可能だ。彼らはカブトガニと同じだ。変わらなくても生存できた。進化しなかったのは彼ら自身のせいではない。今の所は。


日本の医療システムに最適化された「医師の共産主義的ダンピング」とは?

「神の見えざる手」は資本主義の原理を説くアダムスミスの言葉であるが、そんな手などなかったことを現代の我々は知っている。さらに言えば、患者が求める医療と医者が提供する医療は需要と供給という同じ天秤に乗ってすらいない。特に日本の皆保険制度においては、需要と供給は患者と病院の関係ではなく、病院と保険者(つまり国だ)の関係にすり替わった。患者が望むと望まざると、病院は診療報酬を最大化するために診療報酬請求を行う。つまり、単純な集金団体として病院経営を俯瞰した場合、病院は診療報酬請求を行う口実としての患者の存在を欲しているだけであり、患者の治療そのものについては興味が無いとすら言って良い。この理屈に従えば、この国は不必要な治療が溢れかえり、財源が枯渇するまで不必要な請求が繰り返されるはずだが、実際そうはなっていない。なぜだろうか。

このような破綻している皆保険制度を成り立たせている最大の要件は、医師の共産主義的ダンピングだ。ここに注目して解説する記事が極端に少ないので私見を書き連ねておく。

この国で一般臨床医の賃金は、一様に低く設定されている。一部の民間病院などで多少の例外はあるが、大学を含む国公立病院においてはほぼ横並びだ。これがどのような効能を産むかというと、イレギュラーな医療を行なっても医師個人に金銭的な見返りがなく、イレギュラー行為に対する責任が医師個人に帰するために、ごく当たり前な治療体系に準じるか治療行為をおこなわない(医療費を消費しない)医師が大半を占めるようになるのだ。この構図は崩壊前のソビエト共産主義において労働者の生産性が極小まで下がっていたのと同じ構図だ。ソビエトはその生産性の低下により国家財政を維持できずに破綻したが、我が国の構造はさらに絶望的だ。なぜなら、我が国の医療制度を支える財源は各種保険金や税金であり、医師の生産性と全く独立している。一般臨床医がどのような生産性を発揮したところで財源が増えることはない。つまるところ財源が確保される限り破綻しないし、財源が無くなれば破綻する。したがって医療制度的に理想的な医師像とは、想定された範囲の財源消費を行うか、医療費を使わない医師ということになる。この医師像は前述のものとぴったり一致する。これは偶然ではなく、狙った上でこうなっている。役人はバカではないのだ。支出政策を安定化した上で、財源確保の政策を行うのが彼らの仕事だ。

我々は高額医療を選択できる環境下において、それを選択しないように政策的にナッジされている。共産主義的環境が労働生産性を低下させる構造特徴をナッジに利用しているのだ。

ナッジと言うからには、それが奏功しない相手が存在するはずだ。リスクをとり診療報酬を極大に請求したうえで、リスクが度外視できるかあるいはリスクに釣り合うベネフィットを回収できるような医師像が。

前者の典型がアカデミアの研究施設、基幹大病院などで、いわゆる2025年構想における高度急性期病院だ。ここへの財源投入は医療政策上容認されている。(ただし18万床の狭き門だ。ちなみに現行制度では7対1病床に相当し、40万床ある。国は7年で半分にするつもりだ。)

後者の典型が、リスクによって得た診療報酬を医師自身の収入に転換できる人種、すなわち開業医だ。彼らはこの共産主義的な医療制度の中で、資本主義的な原則でゲームを行えるイレギュラーだ。「開業は儲かる」理由は、ゲームにおいてルール上の優位性を持っているからに他ならない。想像してみよう。崩壊前夜のソビエト国内で、1人だけ自由に商品を売って富を集積させている人物がいたらどうなるか?まず放火される。運良く民衆からの粛清を免れたとしても、政府に財産を接収されるだろう。我が国ではリンチは一般的ではないため、国が動くということになる。民間病院の経営会議において、医療政策に対応するために無い知恵を絞る場面に遭遇する。「まるで嫌がらせだ」とこぼす経営者に言いたい。当たり前だ。医療政策とは現状で黒字の民間病院をカツカツに落とし込むためのピンポイントなイジメだ。ちょっとした工夫で7対1に滑り込もうとしている程度の病院を逃がすつもりはハナから無い。段階的緩和を経由して13対1 の亜急性期病床に必ず叩き落としてやる、というのが医療政策の明確なメッセージなのだ。

病院経営コンサルタントに恨みがあるわけではないが、彼らの医療政策対策の話を聞いていると、どうしても付け焼き刃論にしか聞こえない。まるで抄録の添削だ。去年800文字で書いた抄録をコピペしようとしたら、今年は750文字制限になっていた。お任せください。「はじめに」の6文字をとりましょう。「(対照と方法)」は、「方法:」でいいです。句読点が「、。」と全角文字ですね、「,.」で半角英数にしましょう。同様にこのアルファベットも半角にします。「対照群」を「A群」にしましょう。ぴったり750文字です。

医療政策はこんな姑息な逃げ道をいつまでも見逃してくれないだろう。2025年には400字にすると言っているのだ。一文字の意味を変えていかなければいけない。


進化する必要のない環境に最適化した医師の未来は?

このような大変革を迎えるに当たり、民間病院でチート環境にあるにもかかわらず生産性の低いカブトガニのような人たちは、過酷化する環境によって進化するだろうか?

おそらく絶滅するのだろう。経済的に逃げ切りできる高齢者と、それにギリギリ届かない中高年の間で熾烈な生存競争が観測されるだろう。おそらくそれは、自然界に見られるような適者生存や弱肉強食というリーズナブルな競争ではなく、既存序列を最大限に利用した存在コストの押し付け合いになる。

この国の年功序列的人事制度では、経営的決定権と職業人的ポテンシャルは無関係である。年をとったカブトガニたちは組織の負債であるにもかかわらず、縮小した経営利益から自分たちの既得権益を確保し、残りを分配するようになる。 原理的に必ずそうなる

若いカブトガニから死んでいくだろう。そして、年老いたカブトガニの前に別種の若い個体が死んでいくだろう。最終的には年老いたカブトガニの存在コストをまかなえるような、高生産性のバクテリアのような微生物が低栄養環境下で組織を支えるようになる。それがこの国の医療の近未来だ。

生き残る医師の条件

さて、カブトガニではないと自負する医師たちはどうするべきか。 そんなものはもちろんケースバイケースであるが、それでは芸がないのでいくつか考えておこう。

1つは組織の経営権を確保することだ。あなたが40後半であれば手に届く位置にいるだろう。既得権益の仲間入りだ。

2つはアンタッチャブルなあなたのスタンスを周囲に認知させることだ。専門性でも収益性でも外的コネクションでもなんでも良い、あなたにヘソを曲げられると組織にダメージが生じるような特殊な存在に成り上がろう。

3つ目は職場からのエスケープを用意することだ。職場の環境が劣悪になっても生存を確保できる方法論を構築しよう。転職スキルでも医療外収入でもなんでもいい。

これらのどれにも当てはまらない場合はどうすればいいだろう。もしそうだとすると、組織内の地位が低く、職業的優位性がなく、勤務医以外のスキルがないという医師像、すなわちあなたはカブトガニである。絶滅危惧種であることを自覚すべきだ。数年以内に進化することを強くお勧めする。