空飛ぶロボットは黒猫の夢を見るか?(日記)

「時間を大事にする」という言葉の意味

フランケン
フランケン
これは僕がまだ生きていた時のお話

金(かね)か時間か?

僕にとって生きていることは、それだけで価値がある。「まだ使える時間がある」これは幸せなのだ。
時間は大事だ。時間がなければ何もできない。
金も大事だ。何をするも資本は大事だ。
金と時間はセットで大事だ。

金か時間か?という議論は僕にとってナンセンスだ。
「時間があって金がない」はわかる
「金があって時間がない」はわからない。
こういった議論がなされるとき、両者は「どちらも定年までは何かの仕事をやって、年老いて死ぬ」みたいなゆるい人生観が前提になっている。金がないといっても四畳一間でカップラーメン程度の生活、時間がないといっても仕事が激務で寝る暇もないという程度だ。
実にヌルい。

「金があっても時間がない」のフェノタイプは、心停止直前の資産家だ。時間がなくなるとは、死ぬことだ。
そして人間は簡単に死ぬ。今乗っている電車が脱線すれば死ぬ。明日、心筋梗塞で死ぬ。明後日、通り魔に刺されて死ぬ。我々はERで山ほど見てきたはずだ。自分と同じ年齢の人間が簡単に人生を終えて行く様を。それに感想を持たなくなる程度に。それなのに職業論や資産形成、人生設計を論じる時に、我々はこの大原則を無視する。まるで百まで生きるかのように。


「将来」のために「今」を投資する危うさ

何のために今頑張るのかという話になると、漠然と「将来のために」と答えが返ってくることが多い。将来のために今を我慢するという戦略は正しい。しかし、過度に「今の時間」を軽視すると、到達できるかどうかわからない将来のために「今」を投資し続ける人生となる。人生を「投資」と捉える限り、どこかで回収しなければならず、回収に失敗すると後悔する。
時間は投資と考えてはいけない。

誤解を恐れずにいうならば、時間は消費財である。貯蓄はできない。投資して増やすことも出来ない。ナマモノだ、今、最大限に美味しく食べなければ腐ってしまう。

「未来のために」だろうが「今がよければ」だろうが関係ない。使い方の違いがあるだけなのだ。そして、使い方を間違っていたと実感するのは、決まって過去を振り返る時だ。

個人的な話をしよう。

僕は控え目に言ってもワーカホリックの典型のような社会人だった。本業を人の3倍やり、肉体労働を伴わない知的労働を10倍やるような生き方をしてきた。座右の銘は「ライバルは昨日サボらなかった自分」であり、睡眠とは気を失うことと同義だった。目を閉じて開けると朝だった。目覚めると「時間を浪費した」と感じた。

当時の僕にとって、世の中は「やらなくてはならない仕事」と「やりたい仕事」で出来ていた。やらなくてはいけない仕事の中には「僕にしか出来ない」物が多いと感じた。だからそれをやるのは人としての義務でもあると思った。それらの仕事をやっつけてから、やりたい仕事に手をつける。そんな生き方を10年ほど続けたところ、見事に倒れた。

心臓が止まると、生き物としての時計が狂う。早かったり遅かったりするだろうが、脈拍というのは普通止まることはない。その拍動が感じられないというのは形容しがたい隔絶感だ。
今、自分は、世界から切り離されつつある。

主観的には止まっている時間の中で、脳血流量が低下し意識が怪しくなってくる。脳からの下降性パルスは正常に機能していた。活動電位は椎体路を下降し脊髄前角でシナプスを乗り換え腕神経叢を通って上腕筋群の神経筋接合を刺激し、無酸素運動で肩関節を内旋させる。
早い話が胸を叩いたのである。
三度叩いたところで心拍が帰ってきた。

普段は拍動という振動が、心臓が縮む時の振動なのか膨らんでる時の振動なのかよくわからないが、止まっているところから動き出す瞬間にはっきりとわかる。ああ、これは縮む時の振動だったのだ、と。

かくして心拍出の再開とともに脳に血流が再還流され、灰色がかった視界が鮮やかになる。ちなみに、暗くなっても赤は赤で青は青だった。色相は維持される。なるほど、色相ではなくこちらに「彩度」と対訳をつけた日本人はセンスがあるな、などとどうでもいいことを思った。後に知ったがこの感覚は万国共通のようで、彩度は英語で「colorfulness」の他に「saturation」という。SpO2が下がると、この視覚パラメータが下がるということは僕より前に大先輩たちがちゃんと経験済みらしい。

僕のEFは当時心移植レベルまで下がっていたらしい。
帰ってこれたのは幸いだった。



自分の人生を肯定する。

ともあれ、このイベントで文字通り視界が開けた。

まず、自分は一度死んだ。
帰ってこれなかったら、今まで投資だと思っていたものは全て無価値になっていただろう。

次に、今まで大事だと思っていた物事のほぼ全ては些事であった。社会の一員としての自分の義務は、社会性を取り払った主観価値の中ではまったく無価値だった。死ぬ瞬間に脳をよぎりもしなかった。

また、自分がやりたくて続けてきた事柄については、やりかけのまま終わるにあたっても、なお満足だった。充実した時間ははっきりと僕を肯定してくれた。

最後に、僕はウェットな人間関係を馬鹿にしてきたが、家族や友人をやはり愛していた。終わりかけた人生に最も価値を与えてくれたのは彼らとの時間だった。彼らとの時間が終わってしまうことに悲しみを感じ、また、感謝もした。

1ヶ月ほど入院治療を行なっていたが、その間、僕は自分の人生とは何かということを自問した。今までそうあるべきと疑わなかった「人から求められる正しい生き方」は、今際の際で僕に空虚な絶望を与えただけだった。
再び絶望するのはまっぴらだ。
自分の人生は自分自身で肯定しなければならない。
今の僕は自分を最後に認めてくれるものが何なのかを知っているのだから。

僕の病気は緩やかに進む。時折僕の心臓は機嫌を損ねる。朝起きた時に動けないことがある。病院のトイレで横たわっている姿は家族には見せられない。どこで途切れるのかは誰にもわからない。時間は残っているのか、いないのか誰にもわからない。
ならばとるべき道は1つしかない。

「時間を無駄にしない」
子供の頃から母に言われてきたことだ。みんな知ってる。

でもねお母さん、
僕より長生きするかもしれないお母さん。
この言葉はね、あなたが教えてくれたものとは、少々意味が違うのかもしれないんだ。

自分の時間を色分けする。

湿っぽくなったところで話を元に戻そう。
時間を旬のまま頂く話だった。
まず、自分の時間を色分けする事から始めよう。

A5の用紙を縦に置き、24cmの縦棒を書こう。
これはあなたの「昨日」だ。
寝ていた時間をマーカーで塗ろう。なるべく好きな色で塗ってほしい。睡眠は無駄ではない。
起きていた時間に、1時間ごとに何をしていたのか、一行で書く。
覚えている順に書く。なるべく細かく。ざっくりと仕事、とは書かずに、外来、手術、検査、などと細かく書く。

さて、埋まらない行はあるだろうか。いやあるだろう。昨日のことなんて、そこまできっちり覚えているわけがない。
これを減らせとは言わない。へえ、と思ってくれれば今はそれでいい。

次に、昨日をもう一回やり直すとしても「この時間は有意義だったのでもう一度やってもいい」と思う時間に好きな色を塗ろう。1つ1つ色々な色を使ってもらって構わない。その時の気分で好きな色で塗ってほしい。
そして、「できればやりたくなかったけど、やり直すとしてももう一度やらざるを得なかった時間」に、あまり好きでは無い色を塗ろう。一行ずつ、それぞれ嫌いな色を使って良い。
それ以外の行は放っておいて良い。

嫌いな色を減らそう、とか、好きな色を増やそう、とか、
説教くさいことを言うと思ったでしょう?
そんなこと言われたってどうにもできないことは、僕はあなたより知っているつもりだ。

風景

さて、この紙を壁に貼って、反対側の壁まで歩いてほしい。

この風景は、今際の際に見える自分の人生に似ている。
色々な見え方を模索したけれど、これが一番近いと僕は思う。
何をしていたかなんて細かいことはわからない。でも、こういう1日を生きたという漠然とした記憶だけはある。そういう風に見えるんだよ。この棒がビッシリと壁を覆い尽くしている。あなたの人生は間違いなくあなたが塗りつぶして来た。今あなたには一本の棒しか見えないかもしれないが、遠くない将来にきっとわかってもらえると思う。

この風景にどのような意味付けをするのかは最終的には個人の感性によるが、僕の感想を言わせて頂くならば、色の塗られていない部分は「空虚な絶望」に感じた。僕の人生であるにもかかわらず、僕のために使わなかった時間が無色に僕の人生を蝕んでいた。僕の人生は僕が思っていたよりも無色だった。
だから僕はいつも心がけている。「いま、この瞬間はどの色のペンで塗ることになるのだろうか」。この意識を持つだけで、時間の使い方は大きく変わる。いつか振り返る人生が大きく変わる。
「時間を無駄にしない」とは振り返った時に見えるように色を塗っていくことだ。「旬の時間を食べる」とは、なるべく鮮やかな色で時間を塗りつぶすことだ。いま、この瞬間にやっていることが自分にとって何なのか、常に自問しよう。やりたいことを出来る時間は大切だ。ボーッとする時間も大切だ。人に会うこと、将来のために今の布石を打つことだってもちろん有意義だ。矛盾はない。それを振り返った時に、どのタイミングで振り返っても満足だったと思えるならば、良い使い方をしたのだ。

嫌いな色も無意味じゃない。あなたの人生を形作るために必要だった時間たちだ。これがあるから好きな色を塗ることができる。好きな色はあなたを満足させてくれるだろう。あなたが描いたグラデーションはあなたにしか意味付けできない抽象画として、今際の際にあなたの目の前に現れる。

かくもカラフルに、かくも無機質に。
突き放すようで、包み込むようで。

いつかそれを見るあなたが「これを描くために生きた」と思えんことを願う。


今回の内容をプレゼンテーションでご覧になりたい方は、こちらをクリック
最新のPreziで作成されたプレゼンテーションがみれます。(無料です)

フランケンとの対談を音声コンテンツにまとめてみました。(無料です)

いまだ金時ラジオ 第1回 「時間を大事にする」という言葉の意味 テーマ 「時間を大事にする」という言葉の意味 主題1 金と時間について 金か時間か?という議論は僕にとってナンセ...
いまだ金時ラジオ 第2回 「時間を大事にする」という言葉の意味 part 22019/02/25 第2回 ゲスト フランケン テーマ 「時間を大事にする」という言葉の意味 ブログから移動せずに再生すること...